僕のダービースタリオン史


オルフェーブル


僕は昔ダービースタリオンという競馬のゲームに深くハマりこんでいた時期があります。今はゲームもあまりやらず、実際の競馬は見て楽しむぐらいのレベルですが、一時期は狂ったように競馬にのめり込んでいました。どんなカンジだったのかを簡単に紹介したいと思います。

ダービースタリオンとは

ダービースタリオン(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3

ダービースタリオン関東版/全国版

ダビスタ
友人の口コミでこれがどうやらハマるらしいとのことで何の気無しに購入。とんでもないレベルでハマり、これがダビスタ生活にどっぷりハマる原因となる。普通に重賞レースを制覇していくだけの内容ではあったが実在の名馬が登場するレースで勝利することはこの上ない至福を感じることができた。このゲームで競馬の血統というものがいかに奥が深く難解であることを知り、実際の競馬にもハマり始める。

ダービースタリオンII

ダビスタ2
今作ではブリーダーズカップという他のプレイヤーが生産した馬との対決が可能になり、公式の大会も行われたり、競馬雑誌などのメディア主催のレースなども開催され始めた。当然僕もこのレースに勝ちたいと最強馬と呼べるような馬をゲーム内で生産するのだが、まだまだ研究が足りず時間をかけた割には良い結果は出せなかった。実際の競馬にはどっぷり浸かっていて毎週競馬新聞やスポーツ新聞の競馬欄とにらめっこする生活だった。

ダービースタリオンIII

ダビスタ3
前作に引き続いて最強馬生産をひたすら行っていた。この頃はもう自分でも猛者と呼ばれても良いと思えるレベルでゲームをしていた。生産に関わるあらゆる情報をかき集め、ゲーム開発者が開発の参考にしたと言われる血統データを購入(なんかべらぼうに高価だった気がする)するまでのめり込んでいた。毎月行われていたある競馬雑誌で2回ほど優勝するなどの実績を残せた。また、この頃はダビスタにあやかった別の競馬ゲームも多数発売されユーザー同士の対戦ができるようなシステムがあり全国大会も行われたりしていた。ちょっとかじってやってみたら全国大会決勝まで進み結果は2位だった。(決勝はどこか忘れたが大きな会場で開催されるとのことで招待状などが来ていたがそれほど興味もなく行きませんでしたw)ダビスタに比べるとユーザー層のレベルが段違いに低かったんだろうと思った。実際の競馬はこのあたりにくるともうマニアの域で毎週の競馬新聞を購入、季刊で発売される競馬四季報を購入、TVで放送されるレースの録画などを欠かさずしていた。競馬新聞は結構な値段がするので毎週土曜・日曜版の新聞を購入し続けるのは結構な出費だった。(今思うともったいなかったな・・)Winsには足しげく通い、たまに競馬場にも足を運んだりした。当然歴代ダービー馬は全て暗記していました。競馬絡みの番組がTVで放映されるとなるとかじりついてみているようなジャンキーだった。(自分が生まれる前のレースについても目の前で見たかのように語れるぐらいだった)

ダービースタリオン96

ダビスタ96
ダビスタIIIでの実績をひっさげ最強馬生産に明け暮れる毎日を送っていた。この頃僕は小さなゲームソフト販売チェーン店でアルバイトをしており、近所の小中学生にダビスタ生産馬の対戦を申し込まれては対戦していた。一度も負けたことはなかったが、理論と実践方法を伝授した中学生の一人が某有名な競馬雑誌の大会で3位になったのには驚いた。僕の実績は競馬雑誌で優勝1回、2位1回、決勝進出数回とそれほどではなかったが、雑誌に掲載されるのは当然ぐらいに思えるレベルには達していたと思う。ちなみに雑誌などで優勝したりすると、雑誌によりますが、血統辞典や特製のテレホンカードなんかがもらえたりしていた。また、ギャンブル系の雑誌では実際に賞金をもらえたりしていたらしいが違法っぽいのでこちらには手は出さなかった。雑誌でよく見かけるライバル馬が荒稼ぎしていたのを考えると参戦していれば結構稼げたかもしれない。

ダービースタリオン99

ダビスタ99
今作でも最強馬生産をしていたが、就職していたため昔ほど時間を割けない状況だったので生産は難航していた。睡眠時間を削りまくって生産していた。この頃になるとブリーダーズカップはインターネット上で行われるようになり、僕もこぞって参戦していた。この頃1つの事件に巻き込まれた。奇跡的に生まれた自分の生産馬がインターネットでのレースに登録するとインチキ馬として除外されてしまうことが多発した。この頃ゲーム内のパラメータをツールを使用して書き換えることでとてつもなく強い馬を作るインチキが多発していて、僕の作った馬が予想の印(競馬新聞で見かける◎◯▲△とかの印)をごっそり持って行ってしまうためインチキ馬と即断されて一時期インターネット上で行われるレースに参戦できなくなってしまった。主催者にメールで問い合わせたりしてもあまり取り合ってくれず途方に暮れていたときに、ネットのダビスタ界隈では有名な有志の集まりの方からメールが届き、この馬がインチキではないことを理論的に証明してくれることになった。(どうやって証明するのかはツール等を使ってできるのであるが、それをできる人達はほんの一握りの方のみだった)そして、晴れて身の潔白が証明され僕の馬は普通にレースに参戦できるようになりいろいろなレースで連勝した。この事件は一時期インターネット上でのブリーダーズカップ主催者の間で非常に話題になり夜な夜な掲示板での議論が取り交わされていた。まさかこんな大事に巻き込まれるとは思いもよらなかったが、インチキといわれるまでの強い馬を生産できたことを喜んでいた。

ダビスタのブリーダーズカップはこの99を最期に盛り上がりが衰退していき、僕も最強馬生産という不毛な作業から引退した。

ダービースタリオンアドバンス

ダビスタアドバンス
ダビスタ99以降ダビスタから離れていたが、これは普通にゲームをクリアして楽しんでいた。GBアドバンスなので携帯性が良く持ち歩いて、時間を見つけては楽しんでいた。

さいごに

この頃から凱旋門賞を日本馬が先頭で駆け抜けることを夢見ているが未だに達成できていない。オルフェーブルが出走したときはいけるんじゃないかと思っていたけどそう簡単には勝たせてくれないのはダビスタと同じなんだなぁ。

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